CHAPTER 01 / WEB PREVIEW
誰も落ちてこない場所
『ハズレノミカタ』第1話 | WEB先行試し読み稿
空から、白いサイコロが降りてきた。
誰も驚かなかった。驚くべきものは、その下にあった。
地上三十メートルの軌道で、路面電車が傾いている。先頭の車輪は、もう線路に触れていなかった。割れた窓から黄色い鞄が一つ落ち、停車場の屋根を跳ねた。
駅前の予報板に、六枚の映像が並ぶ。電車が落ちる場所。受け止める設備。駆け寄る救助員。五枚目までは、よく似ていた。
六枚目だけ、誰もいなかった。
〈確定まで 十一分四十八秒〉
「廃工場街か」
黒瀬ナギは、買ったばかりのパンを袋に戻した。
電車の最後尾に、小さな手が見えた。窓の縁を握り、離し、また握る。落とした鞄を探しているのかもしれない。
「おい。あっちは誰が行く」
ナギが指さすと、救助会社の隊員は端末から顔を上げた。
「五面保証です。配置は完了しています」
「六つ目は」
「追加手配には、本部の承認が必要です」
「何分かかる」
答えはなかった。予報板の数字だけが、少し減った。
ナギはパンの袋を隊員に押しつけ、走りだした。
*
廃工場街の入口で、一人の少女が待っていた。
正確には、立入禁止の柵の前で端末を操作していた。きれいな靴。汚れていない袖口。胸には、運命予報機関の見習い証が下がっている。
「ここに落ちると、分かっているんですか」
柵を越えようとしたナギに、少女が尋ねた。
「分からない」
「それなら、どうして」
「落ちたとき、困るだろ」
少女は、ほんの少し眉を寄せた。
「澄野リツです。現場記録を担当しています」
「黒瀬ナギ。今、手が足りてない」
名乗り終えるより早く、ナギは柵の向こうへ降りた。リツも、少し迷ってから続いた。
工場の奥には、貨物を受け止める古い緩衝架台が残っていた。十年ほど前まで、軌道から荷を降ろしていた設備だ。ナギは以前、ここから使える部品を運び出したことがある。
支柱は四本。駆動機は一基。電車の重量には、幅が足りない。
「隣の解体屋、呼べるか。あと、溶接のできる人」
「私には、救助隊への指揮権がありません」
「指揮じゃなくて、お願い」
リツは口を開きかけ、それを閉じた。端末を耳に当てる。
六枚目の映像は、まだ変わらなかった。
*
〈確定まで 四分九秒〉
解体屋の二人が支柱を押さえ、近所の整備士が接合部を焼いている。リツの白い袖には、いつの間にか茶色い筋がついていた。
ナギが駆動機のスイッチを入れると、手元に小さな賽が現れた。
一瞬の回転。四。
機械の奥で、乾いた音がした。
〈軸部破断・起動不能〉
表示を見て、リツが息をのむ。ナギはスイッチから手を離した。もう一度押しても、折れた軸は元に戻らない。
「駆動機は使えない」
ナギは言って、隣の解体現場を見上げた。
吊り下がっている鉄の重り。その下に積まれた梁。頭の中で、さっきまでの手順を捨てる。
「あれを借りる。電気の代わりに、重さで動かす」
「固定点が持ちません」
リツが初めて、言葉を挟んだ。
「この柱の下は空洞です。古い搬送路がある。荷重をかけるなら、東側の基礎まで繋がないと」
端末に、一般には公開されていない構造図が開いていた。
「見せていいの、それ」
「記録には残ります」
「そっか」
「あとで、説明を手伝ってください」
ナギは頷いた。今度は、彼女の指さした方向へ走った。
*
あと二十秒。
最後のワイヤーが、金具に収まらない。ナギの指から血が滑り、金属の穴を赤くした。
「押さえます」
隣から手が伸びた。リツだった。二人分の力で、金具がほんの少し動く。
留め具が、落ちた。
架台が低くうなり、電車を迎える角度まで立ち上がった。
「六面目」
リツの声が震えた。
予報板の中で、潰れていた車体が形を変えた。割れた窓。曲がった扉。その奥から、一人、また一人と人が出てくる。小さな子供が、大人の手を握っていた。
六つとも、生きている。
上空で、大きな賽が回りはじめた。
誰かが祈る声を上げた。ナギは、ワイヤーから手を離さなかった。
止まった面は、二だった。
電車は工場の向こうへ落ちた。遅れて重い音が届き、遠くで歓声が上がった。無線から、救出を知らせる声がする。
ナギの前には、空の架台が残っていた。
*
夕方のニュースには、正式な救助隊が映っていた。
ナギは事務所の隅で、破れた手袋を縫っていた。解体屋への支払い。使った部材。動かなかった駆動機の処分。卓上の紙には、増えてほしくない数字が並んでいる。
「使われなかったですね」
リツは、冷めたお茶を両手で持っていた。まだ帰らないのは、説明書類が終わっていないからだ。
ナギは、針を止めた。
「悔しく、ありませんか」
彼女は言い直した。
「俺のところに落ちてほしかった、とは思いたくないだろ」
リツは答えず、机の数字を見た。
そのとき、事務所の戸が鳴った。
駅前の隊員が、朝のパンを届けに来ていた。潰れてしまった袋と一緒に、小さく折られた紙を置いていく。電車に乗っていた子供からだという。
紙には、四角いものが描かれていた。点が七つある。不格好なサイコロだった。
〈お母さんが、今日は運がよかったねって言いました。〉
〈でも、何が出ても大丈夫にしてくれた人がいるって聞きました。〉
〈ありがとうございます。〉
ナギは紙を、請求書の上に置いた。
「……パン、半分いる?」
「それ、朝から持っていたものですよね」
「食べる暇なかった」
リツは少し考えて、頷いた。
誰も落ちてこなかった場所のことを、二人は、それからしばらく話した。
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